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城山三郎 : 第二段は「落日燃ゆ」です。
東京裁判のA級戦犯として、唯一の文官広田弘毅は絞首刑を宣告されました。

総理大臣、外務大臣を歴任した広田弘毅は、外交官時代から晩年の政治生活に至るまで、国交の決裂は避ける事、対米英、対中、対露において、あくまでも外交による和平の解決を可能な限り模索し諦めない姿勢、戦争は外交が行き詰まった果てに起こるという一貫した信念でした。しかし、軍事力による強硬路線の軍部との軋轢を解消できず、重臣として満洲事変、支那事変、最後の太平洋戦争を回避出来なかった事への責任感が、一切の弁解をせず死を受け入れたとあります。A 級戦犯として召喚された当時、政界、軍部を問わず「何故広田弘毅が召喚?」と驚きの声があがったと言われたようです。その事は外交で携わった外国の要人も認めている事でした。
そんな状況の中でも、広田は毅然と受け入れたとあります。

広田弘毅の生き方を「物来順応」なる難しい言葉で表現されています。
身に降りかかる事象を我慢強く受け入れ、我欲を捨て、計略する事もせず、物事に誠実に対処する広田弘毅の生き方に、人生の指針を見出す方が多い言われることも頷けます。

「落日燃ゆ」大日本帝国の勢いが衰え燃え尽きるさまは、多くの犠牲の上に生まれた新たな日本の幕開けでもあります。その先頭に立つべき広田弘毅の姿が無かったことは、多くの方が無念を感ぜずにはいられなかった事と思います。




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